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※このウェブページは中学校理科3年の学習内容です。<3年p.175>

 理路整然   どうする,すい星

 すい星は太陽の近くを通る細長い楕円軌道をもっていて,周期的に地球の近くにやってきます。たとえば,ハレーすい星は,約70年おきに現れる星として紀元前から歴史上の記録に残っています。古代や中世では,すい星や日食などは,不吉な前兆と考えられており,大災害や疫病が起こるのではないかと,人々は不安になっていました。

 ハレーすい星が最も近年で太陽に近づいたのは1986年,その前は1910年でした。

 …そのころ,ある天文学者がハレーすい星の尾に毒となる成分がふくまれていることを発見し,その毒が地球に届くと主張しました。これは全くの誤解でしたが,世界中で騒ぎになり,日本でも「地球の酸素が5分間なくなる」などのうわさが広がりました。

 青森県八戸町(現在の八戸市)に住む時計屋の主人,前原寅吉はアマチュア天文愛好家でもあり,店を訪れたすい星を恐れる人々に,うわさ話の無益さを説いたといわれています。

 前原は8歳の時に学校で「東西南北」の方角を初めて知りました。10歳の時にはさまざまな星々に興味をもち,いろいろな本を読んだり聞いたりしたことを「天文日誌」に書きはじめました。13歳で父を亡くし,間もなく,時計屋に弟子入りをします。彼は働きながらも,いろいろな本を読んでは宇宙を観測し天文日誌に書きこんでいきました。23歳で店をもち,しっかり働いて念願の「天体望遠鏡」を買うと,近所の写真館の人と共同で研究し,「明治の月」(図17(a))の撮影に成功します。また,「太陽面直接観察眼鏡」を発明し太陽黒点の撮影も行いました。さらに,それらの写真や星図,すい星軌道の図をもりこんで「天体之現象」という教材(図17(b))を作り全国の学校に配りました。多くの人に宇宙のことを知ってもらいたかったのです。また,太陽面を通過するハレーすい星の観測を試みて,その報告は新聞に掲載されました。その後,目が見えなくなりますが,家族の協力で星の観察記録を残し続けました。彼は今では「野の天文学者」とよばれています。

 彼は,尋常高等小学校(現在の中学校)までしか行けませんでしたが,科学の楽しさは「興味をもつこと,疑問を大切にすること,自分で調べること,そして自分で考えること」であることを私たちに教えてくれています。

 現在の私たちは,宇宙のすがたを学び,知っています。災害や疫病には,すい星や日食とはまったく無関係の原因があることを理解して,それぞれ対処しています。天文イベントがあれば,その日は空を見上げて楽しみます。つまり私たちの教養や文化は,科学の発達とともに変わっていくのです。

前原寅吉の活動記録

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